映画『ヒットマンズ・レクイエム』のストーリー構造(監督:マーティン・マクドナー)
- 『ヒットマンズ・レクイエム』において、ストーリー構造が観客にどう作用しているのかを分析したいと思います。
- ストーリー全体の構造を分析するよりも、私が気になった部分のみ分析しています。
- また、読者の皆さんが映画を見ている前提で書いていますので、ネタバレがいやな方はお気をつけください。
終盤までケンの方が「主人公」にふさわしく見える(ケンの物語のように見える)
- 物語の大部分の時間、ケンの方がすべての事情を知っているため、その葛藤の複雑さに観客は感情移入しやすい。性格・道徳性的にもケンの方が主人公よりも優れている。
- これにより、終盤のラスト20分くらいまでは主人公以上にサブキャラクターが主人公然としすぎている。そこまではケンがほぼほぼ主人公のように感じられた。
- 以下、ケンがいかに主人公らしく見えるかについて、プロットを抜き出してみる。
- 冒頭の観光シーン、主人公は好かれるような性格をしていない。ずっと文句を言っている。この時点で「どちらかと言えば」ケンに観客は共感する。
- 主人公はデートの準備をしていると、ケンは「男前だぞ」と自信をつけさせようとしている。
- ケンはまるで父親のように主人公を気にかけている。このシーンの直前では、主人公が泣きながら少年殺しの罪について話すシーンがあり、ここでも懸命に主人公を励ましていた。
- ケンはボスに主人公を殺すよう命じられるが、主人公が自殺しようとしているのを目撃し、彼の自殺を阻止する。
- このシーンで、主人公が 自殺しようとするほど追い込まれていたことを観客は知り、やっと主人公に感情移入し始めるが、この後ケンは主人公のために自分の命を危険にさらす行動に出るので、 いくら主人公が葛藤していても、その主人公のために命をなげうとうとしているケンの方に観客は共感する。
- 主人公が列車に乗せて逃がした後、ケンはボスに連絡をし、主人公は逃げた私を殺しに来いと挑発する。
- ケンとボスの決着。ケンは抵抗しない。銃を渡して、ボスに殺されるのを待つのみ。ボスはふざけるなと怒る。
- ボス、あんたには感謝してる。でもあいつを助けたかった。
- このように、映画のほとんどの時間ケンが良いヤツ過ぎて、観客はケンの方が好きになる。完全に主人公の印象。
終盤になってやっと主人公が機能的にも主人公になる
- 死にたがっていた主人公は、皮肉にもケンの死を目の当たりにして、 ケンが命を賭してまで自分を助けようとしてくれたことで、生きるという決断をする。
- 生きるために、必死にボスから逃げる主人公
- ボスとケンとの決着の場面で、もしもケンがボスを倒していたら、 主人公が本当の意味で生まれ変わることができなかった。やっぱり最後は主人公が戦うべきなのだ。
- 極端に言えば、 主人公は「最後の戦い」の前までは、クズで情けない、共感できない人物であっても良い 。最後の戦いまでは、 サブキャラクターが葛藤して、彼らが物語の主人公然としていても良い。しかし、最期の決戦だけは主人公がメインになるべきだ。 この主人公の最後の決戦で、サブキャラクターたちの葛藤や苦悩も全て昇華できさえすれば、主人公がやはり真の主人公であると言う印象になる。