映画見てるときの思考たれ流す

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映画『ザ・ギフト』のストーリー構造(監督:ジョエル・エドガートン)

  • ザ・ギフト』のストーリー構造を分析したいと思います。ストーリー全体の分析ではなく、私が気になった部分のみ分析しています。
  • また、読者の皆さんが映画を見ている前提で書いていますので、ネタバレがいやな方はお気をつけください。

この物語の主人公は視点的にも内容的にも妻であるのに、エンディングで夫に物語を託して終わったのが最悪

(プロット)出産に立ち会ったサイモンが病院から帰宅すると、ゴードンから誕生祝いのベビーバスケットが届いています。添えられていたのは、夫婦の家の鍵。ゴードンは、彼らの会話を盗聴していました。同封されたDVDを見てサイモンは驚きます。映っていたのは、部屋で気絶したロビンを見つめるゴードン。ゴードンはロビンの体に触れ、のしかかろうとし、そこで映像が終わります。怒りと恐怖で固まるサイモン。その頃、ゴードンはベッドで目覚めたロビンに花束を渡し、帰るところでした。病院に駆け込んだサイモンは、ゴードンの姿を追いますが見失います。サイモンの携帯が鳴り、ゴードンの声が言います。「彼女との間に、何もなかったと言ってほしいんだろ」。そして、最後の“ギフト”が何かをサイモンに告げます。「赤ん坊の顔を見ろ。目を見ればわかる」。衝撃のあまり、その場に立ち尽くすサイモン。「人に弄ばれるというのはこういうことだ」、そう言ってゴードンは電話を切ります。 (https://eiga-watch.com/the-gift-2015/ より)

  • ほとんど終盤まで妻の視点で物語が進み、観客は妻に感情移入している。しかし終盤夫の視点に転換し、夫の物語として終わってしまう。夫は妻が今まさに産んだ子供が「ゴードンの子であるという疑念」を植え付けられて(復讐されて)終わるのだ。妻はエンディングでセリフを発する時間すら与えられない。夫と敵のゴードンのやり取りで終わるのだ。
  • このようにエンディングを夫視点で終わったのは、失敗だと思う。観客は誰に共感して物語を終えればいいのかわからないからである。 妻はこのことを知らないし、せめて妻が事実を知れば妻の感情に思いを寄せることができるが、観客は何ら知らない妻がかわいそうだと思うことしかできないし、夫の事はクズ野郎だと思っているので、彼が罰せられるのは自業自得だと感じるだけで、彼に同情することはできない。
  • なんで夫の視点で終わると違和感があるのか?それは映画が終わって、この主人公夫婦の続き(彼らとその子どもはどうなっていくのか?)を想像した時に、妻はまだ何も知らないのだから、「夫は次にどうするのか?」という 夫の次のアクションを考えるという想像しかできないからだ。
    • 正直観客は妻のことだけが心配なのに夫のことをまず考えないといけない。夫が子どもについての疑惑を言うのか言わないのか。を考えてからそれに対する妻のリアクションを考えないといけない。夫はどうでもいんだ。妻のことを考えたいんだよ。この物語の核は、愛する家族の欠点や秘密、そしてそれが招いた結末を受け入れるべきなのか、拒絶するべきなのか、という点であるのにもかかわらず、妻は家族の秘密がもたらした結末(自分の子が他人の子かもしれない)を知ることすらできずに終わってしまうのだから、「受け入れるか拒絶か」の選択肢すら持っていないのだ。
    • 観客は物語の終盤まで終始妻の視点で一緒に体験し、妻の悩みを分かち合ってきた。しかし、最後に夫の視点で夫の物語で終わるということは、「二人の男の間で繰り広げられるゲームに巻き込まれたかわいそうな被害者」として妻も観客も物語を終えることしかできなくなったのである。観客は妻と一緒にゲームのコマになったような、この辛い経験に対して向き合おうとする選択肢すらなく、受け身で終わってしまうのだ。妻の目線で物語を体験してきた観客は、自身も利用された気分になり映画を終える。まさに彼女とその子供は敵からのギフトとして意思をもたないモノやコマのように扱われる
  • 以上の点からも、最後は妻視点で良かったのでは?と思う。妻が事情を知って、あっけにとられて絶望するという終わり方のほうがまだマシだと思う。
  • もしくは 中盤でゴードンから豪邸に招かれるシーケンスを再利用すると面白いかもしれない。豪邸のシーケンスでは、「夫と同級生が話しているのを妻が外から見ており、会話が聞こえないというシーン」があるが、あのシーンの構造を反転させて、以下のようなエンディングなら良かったのではないか?
    • 急いで病室に戻ってきた夫は、病室の窓から同級生ゴードンと妻が話しているのが見える。同級生はビデオを見せているようだ。妻は絶望した顔をしている。それを見て、夫はその場で崩れ落ちる。そして、妻視点に切り替わり、ゴードンが捨て台詞を吐いて去っていく。ゴードンは病室のドアで夫とすれ違うが、膝から崩れ落ちている彼を見下しながら去っていく。そして妻の視点に戻り、ラストショット。みたいな感じで、最後妻の視点で終わってほしかった。

典型的なスリラーのように、誰かが死ぬラストにならないひねりは良いが、代替の展開がつまらない

  • この手のスリラーは、2幕の終わり時点で全員の本性がわかり、3人の中心人物のうち誰かが死なないと解決しないという典型的なラストを迎えるため、3幕はチェイス・シーンや暴力的なシーンに移行することが多い。 しかし、本作はほとんど最後まで同級生や夫の本性や秘密がわからないというサスペンスや不確実性の展開を継続し、暴力的な展開には陥らなかった。
  • その試みはいいんだけど、典型パターンが2幕で終わるサスペンス要素を、そのまま3幕まで引き伸ばしただけで、サスペンスの総量は変わっていないような印象。そのため、典型パターンが1幕と2幕で50ずつ、計 100のサスペンス量があると仮定すると、この映画は3幕にも50追加して計150にするのではなく、1幕と2幕3幕全部で100にしただけなのだ。よって、各幕の密度は下がり展開が遅く感じられてしまった。 よくある映画のような展開にしないと言うだけではなく、その省いた展開の部分に新しい刺激的な展開を持ってきてほしかった。
  • じわじわと敵の狂気があらわになっていくと言えば聞こえはいいが、と言うよりも、些細な狂気が何度も繰り返されただけで展開に乏しいといったほうがいいかもしれない。些細な狂気では引っ張れないくらいの時間を無理やり引っ張ろうとしたので、早く狂気見せろよと思ってしまった。
    • なぜか開いて水がでる蛇口、いなくなった家族のペット、霧のかかったシャワーのドアに忍び寄る影のような存在など暴力や格闘シーンが始まりそうな展開に思えるが、最後まで暴力は発生しないのがもどかしい。スリラーだから何かしらの暴力をやっぱり期待してしまうんだ。
    • 例えば、敵は夫の謝罪を受け入れ、仲良くなったというシーンを描く、そして、夫婦の結束は強くなり、全てがうまくいき始め、いよいよ出産。しかし、その日に敵は謝罪を受け入れたのは嘘だったことが分かり、復讐をするという感じなら、感情曲線的にも展開が作れたのでは?
  • ただ、「3人の中心人物のうち誰かが死ぬ」という展開を裏切って、その復讐の矛先を赤ちゃんに向けたというのはいい裏切りだった。しかも赤ちゃんの生命を奪うというより、一層悪趣味な赤ちゃんはゴードンの子供の可能性があるという復讐。言われてみれば、もっとも残酷で皮肉な復讐。その手があったか!という感じ。