ディザスター映画のストーリー構造
ディザスター映画の定義
- 災害や大惨事など突然の異常事態に立ち向かう人々を描く映画のジャンル。乗り物パニック映画はこのジャンルのサブジャンルである。
- 群像劇の人間関係の描き方を参照
ディザスター映画の王道の視点設定
- ディザスターの視点というのは大きく3パターンある。主に誰に視点を設定するかで物語の軌道がある程度決まってくる。
視点設定(概要)
対処できる「個人」 | 翻弄される「集団」 | 中間 | |
---|---|---|---|
メインの視点 | 強力な個人 | 無力な集団の中の複数の人物(群像劇) | 集団の中の複数の人物に視点があるが、メインの個人がいる |
視点の人物の能力 | 根本的に解決できる能力や権限を持つ | 「個人」としては解決能力を持たない。集団が力を合わせる必要がある。 | 中間 |
視点の人物がアクセスできる情報量 | 大局的(俯瞰的) | 局所的(限定的) | 局所的(限定的) |
被害の範囲 | 全国 | 全国 or 局地 | 全国 or 局地 |
最終的な物語の着地 | ディザスターの根本的な解決 | 局所的な解決 | 局所的な解決 |
映画の印象(トーン、楽しみどころ) | ヒーロー(英雄)系 | 恐怖、パニック、最後に局所的に解決し安堵 | 恐怖&ヒーロー |
パターン1. ディザスターに「根本的に」対処できる力や権限を持つ人物「一人」に視点を設定する
- いわゆるヒーロー(英雄)系の映画となる。政府や軍の人間等、ディザスターを大局的な視点で見ることができ、かつ、根本的に解決できる能力をもつ人物に視点を与える。
- 彼は何が起こっているかという大局的な情報を把握できる立場にある
- 最終的には実際に彼の力で大規模な災害を解決するところに観客はカタルシスを感じる。
- 作品例)インディペンデンス・デイ、日本沈没、アルマゲドン
- (補足)対処できる人物と同時に、無力な市井の人物にも視点を設定することがあるが、その場合もこのパターンと同じような特徴を持つ。いずれにしても「無力な個人」だけの視点であることはない。
- この王道パターンを裏切ったのが、宇宙戦争_ディザスター映画の王道とは違い、無力な個人に視点が設定されている
パターン2. 今まさにディザスターに巻き込まれている「集団」に視点を設定する
- 例)新感染 ファイナル・エクスプレス。乗り物パニック映画はこのパターンのサブジャンルである。
- ディザスターの状況下にいる特定の集団に視点を与え、それぞれのキャラクターの視点から描かれる(群像劇やグランドホテル形式とも呼ばれる)。市井の人物である。
- 特定の集団といっても、🔶 普段から顔見知りで人間関係が出来上がっている集団の場合と、🔶 全く見知らぬ同士の集団の場合がある。後者の場合は、人間関係の希薄さから個々の視点がばらけてエピソード的になりやすいようにも思えるが、ディザスターという共通のメインイベントがEP化を防いでくれる(乗り物パニック映画は「強力なメインイベント」と「閉鎖空間」のおかげで群像劇を描いてもエピソード化を防ぐを参照)。
- 彼ら個人としてはディザスターに対処できる力を全く持ち合わせていないため、序盤は特にパニックに陥り映画のトーンは恐怖に支配される。そして中盤以降、集団が力を合わせて、なんとか事態を収めようとする。
- 彼らの視点からは何が起こっているかという情報をほとんど把握できず、多くの時間を翻弄されて過ごす。(限定的な情報)
- 個人の能力ではディザスターに対抗できないが、集団の力で立ち向かおうとし、局地的には解決に至る場合がある。
- 「ジョーズ」のTier List(ティアリスト)のように協力することで力を増していく。
パターン3. 今まさにディザスターに巻き込まれている「集団」の中の最も対処する力を持つ人物にメインの視点を設定する
- これは、上記1と2の視点設定の中間的な設定。「集団」の中に、圧倒的ではないがいくらか対処する力を持つ人物がいて、彼にメインの視点を設定する。この場合は、巻き込まれている集団が描かれつつも、視点は対処できる人物を中心に設定される
- 例)列車パニックの運転手や、飛行機パニックの操縦士等、アイアムアヒーロー、チェルノブイリ_映画、ホテルムンバイ_映画
ディザスター映画の具体例
- ジョーズ_映画
- 宇宙戦争_映画:王道パターンではない
- チェルノブイリ_映画