映画見てるときの思考たれ流す

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「人生はリハーサルできるのか?」を追求した番組が面白すぎる!!(リハーサル ネイサンのやりすぎ予行演習)

  • 『リハーサル ネイサンのやりすぎ予行演習』のストーリー構造を分析したいと思います。ストーリー全体の分析ではなく、私が気になった部分のみ分析しています。
  • また、読者の皆さんが映画を見ている前提で書いていますので、ネタバレがいやな方はお気をつけください。

「人生をリハーサルなんてできるわけないじゃん」という視聴者の気持ちをきちんと分かって番組を作っている

  • 今u-nextでリハーサル(原題:The Rehearsal)というhbo製作のドキュメンタリーコメディを見ているんだけどこれがすごい。「人生の重要な出来事をリハーサルする」というコンセプトを聞いた時点の、まだ実際には視聴を始めていない時の自分の気持ちはこうだった。
    • (視聴前)そんなに簡単に人生をリハーサルして準備することなんてできるわけないだろう。もし何事もたくさん準備して練習して本番に臨むことが大事だみたいな説教臭い展開になるのだとしたら、この番組の視聴はすぐにやめようと考えていた。悩んでいる依頼者がリハーサルを何度も重ねることで本番大成功を収めましたみたいな、リアルの世界の複雑さを一切無視したきれいごとの番組なら、ドキュメンタリーのくせに、リハーサルすれば全てがうまくいくみたいなやらせ臭のする番組ならすぐに見るのをやめようと思っていた。そんなに人生は簡単なもんじゃない馬鹿にするなと。しかし完全に杞憂に終わった。
  • 以下、視聴後分かった、この番組の巧みさ。
  • 人生の重要な出来事に直面した一般人を募って、その出来事がうまくいくように何度もリハーサルをして臨むという大枠。そして最初の依頼者のもとにやってくるホストのネイサン。ホストは最初の依頼人と和やかに話をして、「ここまで僕たちの会話はなかなか弾んでいるよね?それには理由があるんだ」という。僕は今日の日のために何度もリハーサルを重ねたという。だからこそ君もこれから僕と一緒にリハーサルをすればきっとうまくいくだろうと提案する。
    • この時点で、どこかしら観客の心には、本当に人生をリハーサルすることなんてできるのか?という疑念が実はある。
    • この観客の疑念にきちんと制作側も気づいていることを示すため に、彼らはある仕掛けをする(展開を作る)。それは、ホストであるネイサンがいきなりリハーサルしたのに失敗するのだ。ホストはいまいち依頼者の心を開くことができなかった、リハーサルしたのに何がダメだったんだろう。つまりこの番組のすべての責任者であるホスト自体が、「人生をリハーサルする」スキルを伸ばしている最中であるということ。彼も本当にリハーサルがうまくいくか分からない。
    • ホストがこの番組を見ている私たち視聴者に、人生はリハーサルすれば何事もうまくいくという説教をするためではなく、まだリハーサルの効果というものが半信半疑である視聴者と一緒に、その効果を見極めていこうとするというホストの設定にしている==。ホストであるネイサンは私たちに何か教えようといてくれる教祖(教師)なのではなく、私たちと同じ立場である、私たちと同じようにこれからリハーサルの効果を検証し、どうにかそのスキルを伸ばそうと一緒に協力する、==私たちは同じ生徒なのだという関係性を、視聴者と築くことに成功している。つまり、視聴者の感覚としては、You and Me(私とあなた)という感じではなく、We(私とネイサンは同じである)という感覚でこの番組を見ている。
    • ホストであるネイサン自体も教師ではなく生徒であることを示すために、彼自身も試行錯誤しながらリハーサルをしていく過程を視聴者に見せていく。彼はリハーサルをすれば何事もうまくいくしリハーサルは簡単だと思っているわけではない。リハーサルをしようとすると相手のことがよくわからなかったり、どうすれば本番さながらの状況でリハーサルができるかを悪戦苦闘しながら徐々に改善していくという形をとるので、ホストである彼自体も生徒側である。
  • そしてホストであるネイサン自体がリハーサルをしていたにも関わらずいきなり小さな失敗を犯したことで、この後のエピソード(応募者たちの挑戦)がリハーサルにより本当にうまくいくかどうかが分からなくしたことも非常にうまい仕掛けである。
    • どうせ成功するんだろうと結果がわかっている状態で物語を見ても没入できない。失敗する可能性があるからこそ、大一番の勝負に挑む挑戦者たちを視聴者は応援しながら、この番組に没入することができる、そのような構造をうまく作っている。
    • 番組のホストであるネイサン自体が、第1話のオープニングでいきなり失敗したのだ。しかも挑戦者といい関係を築くという、比較的簡単な挑戦にホストが失敗した。ということはこれから挑戦者たちが挑む人生に大きな影響を与えるようなより難しい試練に向かうためにはより入念なリハーサルが必要であるということを示唆している。観客は物語のゴールの高さを実感する。
    • ホストであるネイサンは、最初の依頼者との出会いで私は学んだと語っている。「完璧だと思っていたリハーサルも、本番で少しヘンテコな椅子に座っただけでリハーサルの時の私の態度は堂々と振る舞っていたにもかかわらず、一瞬で間抜けに変化した。もっと念入りにリハーサルをしなければならない。私たちは決戦の場をこれまで以上に完全に再現したセットを作った。ウレタンの椅子が破けてスポンジが見えているところまで再現している。テーブルに置かれている調味料も全く同じ。」

「The Rehearsal」(リハーサル)という完璧なタイトル。番組の中心アクションを簡潔に1語で表現している

  • 「The Rehearsal」というタイトルはこの番組の本質を端的に表現することができている。実際番組の尺の95%は、本当にリハーサルというアクションをしている時間で構成される。わずか1単語の動詞で、番組を簡潔に表現し、なおかつ、その動詞が観客の興味をそそる、「リハーサルでどのように事件を解決するのか」という興味をそそるという点で非常に秀逸なタイトルと、動詞の選択だと思う。大岡ログライン「Aな主人公が、Bに出会い、Cする話」ではどんな行動をする話かを1つの動詞で表現すべし、とされているが、この番組はまさにそうなっている。C = リハーサル。
  • (うまく言えないけど)全ての物語に共通する本質とは「自分の人生を破壊するような事件に何度も挑戦すること」といってもいいだろう。そしてリハーサルという行為はまさにこの本質を表現することができるアクションのように思える。何度も何度もリハーサルし本番に向かっていく。「リハーサル」という一つの動詞の選択が、改めて完璧だと思う。リハーサル、と番組の核心を定義したことがこの番組の成功の要因だと思う。

1話_最後の展開は予想を裏切る良い展開だった

  • しかも第1話の展開は中盤まででも最高だったけど最後の展開は素晴らしかった。いくつか驚きの展開、予想もしていない展開が来た。
  • 🔷 それは依頼者が怒りっぽい友達に自分の秘密を打ち明けたところ、彼女は理解を示してくれた。話してくれて嬉しいわと言った。そして驚きなのはこの後の依頼者の行動である。彼はこれまでリハーサルした中で毎回、自分の秘密を打ち明けたらその話をできるだけ早くやめようとしていた、別の話に移ろうとした。しかし本番では彼はこれまで12年間語ったことのなかった自分の人生をたくさん打ち明け始めたのだ。
    • つまり、人生の重要な瞬間を成功させるために何度も何度もリハーサルを重ねて、全てを予定通りにすることがこの番組の目的だったのだが、最後の本番ではリハーサルを超えてしまうことができたのだ。目的は最後の瞬間の直前まで「計画通りにやること」だった。本番もリハーサル通り計画通りに実行できれば、それだけで満足だったはずだ。しかし、どれだけリハーサルを重ねてもやはり現実というのはわからないものだ。最後はリハーサルを超えることだってできるんだ、という観客の予測を外す素晴らしい展開が起きた。
    • 「リハーサルがいかに問題解決に有効であるか」だけでなく、「どれだけリハーサルを重ねても予測できない人生の複雑さや不確実性」という2つの(相反するような)主張を同時に描くことに成功しているこれは視聴者の願望にも合致しているように思う 。視聴者としてはもちろん人生の一大事に挑む挑戦者に成功してほしいという気持ちもある、つまりリハーサルの有効性が証明されて欲しいという気持ち。一方、人生はそんなに簡単じゃないよという気持ちも当然持っている。この観客の裏腹な気持ちを両方満たした素晴らしい第1話のエンディングだと思う。
  • 🔷 そしてもう一つ予想外だったのは、最後に依頼者がホストを責め立てるということ である。自分の秘密を打ち明け、しかもそれを友人に好意的に受け止めてもらえた状態で依頼者が帰宅する。そこに待っていたのがホスト。ホストが最高だったよと伝える。依頼者も喜んだ顔を見せる。しかしホストは1つ依頼者に言っておかなければならないことがある、と言い始めた。つまりこれは立場の逆転だ。依頼者が友人に秘密を打ち明けたのが反転し、最後にはホストが依頼者に秘密を打ち明けることになる。それは、実はクイズ大会の質問を全て知っていて君に気づかれないように会話の中に答えをそれとなく教えていたんだと打ち明ける。そして依頼者の反応が興味深かった。依頼者はホストに君は最低のことをしたクソ野郎だという。依頼者はクイズを趣味として、ある意味生きがいとしている。それをホストである君は侮辱したんだと、依頼者は怒った。最悪の気分になってしまったと。 おそらくホストは依頼者に打ち明けるというこの展開もリハーサルしていたと思う。つまり、第1話では依頼者だけでなく、依頼者とホストの2人がリハーサルをしていたということ。しかし、残酷な結果になってしまった。依頼者の挑戦はリハーサルの時以上に大成功を収めた一方、ホストの挑戦はある意味失敗に終わってしまったとも見れる。彼は1話冒頭の依頼者とのコミュニケーションを含めて2敗目を喫した。この複雑な現実も非常にリアルだなと思った。