映画見てるときの思考たれ流す

映画見ながら考えたことをたれ流します

観客の感情と物語のキャラクターの感情の違い

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  • 上記書籍には以下のように書いてある。(意訳)

  • 観客自身の感情とキャラクターの感情の2種類を区別することが重要です。例えば、コメディーでは、登場人物がストレスを感じていても、観客は笑ってしまう。また、スリラー映画では、登場人物は冷静で何も知らないが、我々は彼の知らないことを知っているので、彼のために恐怖を感じる。
    • この区別が重要なのは、脚本において重視すべきは観客の感情であって、キャラクターの感情ではないからです。例えば、あるキャラクターを泣かせれば、観客は悲しみや哀れみを感じるだろうと誤って考えてしまうのです
    • 必ずしもキャラクターに強い感情表現をさせればいいのではない。キャラクターが泣くかどうかは、観客が泣くかどうかほど重要ではありません。キャラクターが泣くという表現は、読者を泣かせるための1つの手段でしかなく、ほかの選択肢はたくさんあるのだ 。ゴードン・リッシュが言ったように、「ページ上の人物に何が起こるかではない。読者の心と体に何が起こるかが重要なのだ」。(書籍引用ここまで)
  • 映画「私の中のあなた」では、キャラクター全員が一回は涙する。それにより感動的になると思っているのだろう。あれだけみんなに泣かれると観客は引いてしまって暑苦しさを感じる。
  • たとえスリラーでキャラクターが恐怖を感じても、基本的に観客は恐怖を感じない(共感しない)。一方、ホラーではキャラクターと同様観客も恐怖を感じる。need to knowジャンルのキャラクターたち、 特に殺されるようなキャラクターたちは恐怖で顔を歪めるが、それが観客にまで波及する事は無い。観客の感情と物語のキャラクターの感情の違うのだ。殺されるキャラクターの恐怖の感情と観客は同調しないが、一方、観客は犯人は誰なのか、なにか陰謀があるのかという謎についての好奇心に意識が向かっている 。だから、たしかに「知りたい、知らなきゃならない」感覚が強い。ただ、例外敵にセブン_映画とかノーカントリーのやばすぎる敵役のときには、観客はneed to knowと同時に恐怖も感じ、Fear要素が出てくる。これはFearとNeed to know映画がどの感情を扱おうとしているかの差なので、スリラーが劣っているというわけではない。
  • それを書けば皆がそういう感情になる、とでも思っているようだ。そのような感情になるのは、引き込まれ、世界のなかに入り、感情移入したときだけである。飯を旨そうに食えば、旨そうに見えると思っているバカは、脚本が書けない。それは書いたうちに入らない。何かの羅列を押し付けているだけで、引き込むことをまるで考えていないのである。 ( http://oookaworks.seesaa.net/article/442122988.html#gsc.tab=0

  • では、「観客の感情を誘導する(感情移入させる)ため」、たとえば、観客を泣かせたいときに、キャラクターを泣かせるのが間違いなら、どうすれば良いのか?
    • その方法の一つが、「観客にキャラクターの感情を考えさせること」だと思う。キャラクターの感情をセリフやアクションや小道具で巧みに表現した映画リストが参考になる。キャラクターが直接自分の感情をセリフで述べるのではなく、感情を象徴するアクションで表現する。このアクションを見た観客はキャラクターの感情を考え、それがわかったとき、いたく感動(感情移入)するのではないか?と思う。
    • 言葉やセリフでそのキャラクターの感情や考えを表現されてしまった瞬間に(映画の方から「このキャラクターは今こんな気持ちですよ」と観客に親切に教えようとした瞬間に)、観客はキャラクターの感情を想像するスイッチを切ってしまい、そのセリフを文字通り受け取ってしまうのかもしれない。逆に、キャラが何も言わない場合は、彼らの感情を想像したくなってしまう。そして、キャラクターの感情が分かった瞬間、キャラクターと心がつながり、関与できたことに、いたく感動するのではないか?
  • このような技術の優れた例に気づくには、観客の感情と物語のキャラクターの感情の違いを意識し、キャラクターが泣いているのに、観客である自分は笑っているなど、観客とキャラクターの感情が異なっているシーンがないかどうかに敏感になるといいだろう。
  • (補足)上記の通り、両者の感情は異なるのだが、観客は明確にはその違いを認識しておらず時に混同するというのもおもしろい。